ピラティスの誕生
人の名前
みなさんこんには、Yukiです😊
昨今、”ピラティス”という言葉は少しずつ世に知れ渡り始めたのではないでしょうか😌
それでも、ピラティス自体を知らない方・あるいは、ヨガと何が違うの?と思われている方
まだまだ多いかと思います。
ピラティスとはそもそも、人の名前なんです😌
” Joseph Hubertus Pilates(ジョセフ・ヒューベルトゥス・ピラティス)”
(1880−1967)ドイツのメンヒェングラートバッハという小さな町に生まれる
彼が唱えた合理的で情熱的なボディーワーク・身体の調整法が今ではピラティスという名で知られていますが、
当時は”コントロロジー”と、呼ばれていたんですよ😌
*コントロール(control:操作・調節・制御)
*ロジー(logy:学問)
この二つを合わせてコントロロジーとピラティスさんは呼んでいたそうです😊
彼はとても情熱的で、発言する言葉には少々過激な表現もあったそうなんです!
私はそのブレない考えや確信を持った発言に引き込まれました😌
今日は、そんなピラティスさんはどんな人で、どのような背景から今のピラティスメソッドが誕生したのかを書いていきたいと思います!
少しでも興味を持って頂ければ幸いです✨
目次
生まれつき
彼は元々病弱で、くる病・喘息・リウマチ熱などに苦しむ幼少時代だったそうなんです。
しかしそんな病を克服するべく、独学で解剖学を学び、スポーツ(ボクシング・体操・スキーやダイビングなど)を自ら実践したことで、病を克服したと言われています。
14歳の時には、解剖学チャートのモデルになるほどの健康体になったそう。
父は体操選手・母は自然療法師であったことから、彼の運動や健康という分野においての追求や研究は、必然だったのかもしれませんね。
とても研究熱心だったピラティス氏は、東洋と西洋両方の運動法を研究し、特に体と心を完成させそれを維持するという古代ギリシャとローマの哲学に触発されたそうです。
これは現在のピラティスの最大のコンセプトと言えると思います。
ピラティス・メソッドの始まり
1914年、第一次世界大戦が勃発。
ピラティス氏は敵のキャンプ地で、他のドイツ人と共に抑留されていました。
彼はこの時、仲間の収容者にエクササイズを教えており、これが後のコントロロジーの始まりとなったのです。
当時、スペイン風邪が世界中で流行し戦争以上に多くの犠牲を出したと言われていますが、
彼のエクササイズを行っていた収容者たちは死をまぬがれたとし、それが高く評価されたのです。
スペイン風邪は重度の肺炎を起こし、数時間以内に死に至っていたそうなんです。
ピラティス氏のエクササイズは適切な呼吸・深い呼吸を必要としており、これが大きな要因だったのではないかと考えられたんだとか。
現在のピラティスの原則の一つに、”Breath(ブレス)” の項目があります。
呼吸とは生を受けて最初に行う行為であり、そして生が尽きるその時まで行う行為であると述べていたそうなんです。
ピラティスのエクササイズ中の呼吸を大事にしているのは、ここから来たのかと思うエピソードでした😌
またピラティス氏は別の収容所に異動した時にも、コントロロジーのビジョンを伝え続けました。
そしてこのキャンプ地でさらに刺激を受けたピラティス氏は、器具の開発にも取り組んだそうで。
寝たきりの兵士のニーズに応じて、ベッドからベッドフレームに数本のバネを取り付けました。
このバネがあることで患者はエクササイズが出来るようになり、寝たきりの状態でも体力の回復を可能としたのです。
これが現在のreformer (リフォーマー)というピラティスマシンの第一歩だったんですね😌
誰でも安全に行える
つまり、ピラティスの始まりはリハビリが元だったと言えるでしょう。
体は自身のパートナーであり、ピラティスのメソッドは抵抗や負荷を与えるというよりも、体に正しい動きを教育していき、本来の状態に戻すといったニュアンスではないでしょうか😌
そしてピラティス氏は心の底から、人類の幸福について興味を持っていました。
彼は自身の考えたメソッドの魅力について
”私はこの魅力を利益のためでなく、人類の将来の幸福に興味を持っている人々に届けたい” と語っていたそう。
これを知った時、そのひとりになりたいと思った事を今でも覚えています。
ピラティスに限らず、健康を想うフィットネス産業がより盛り上がることを願っています😌
ご自身の体と向き合う事を先延ばしにしている方、私と一緒にピラティス始めてみませんか😊
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